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アニメや映画などを観て感じたこと、想ったこと。ネタバレする場合有。

TVアニメ『テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス』雑感

 

はじめに断っておきますが。本投稿は2016年に1期、2017年に2期が放送されたTVアニメ『テイルズオブゼスティリア ザ クロス』(以下『ザクロス』)の感想を書くものであり、リリース開始から何かと話題の某スマホゲームについての言及はしませんのでそのつもりで。

 

放送終了から3年以上経ち、ようやくちゃんと見る気になったザクロス。記憶が不確かなのですが、2期のエンディングを見た覚えがあるので、リアルタイムでは途中で飽きたか満足したかで止めたんだと思います。当時の私のテイルズオブゼスティリアに関する心境はと言えば、2015年の1月に発売された原作のゲームソフトを購入しメインストーリーと「その後」を描いたDLCもクリアはしましたが、決して褒められたものではなく落胆していたことを憶えています。そんな原作への気持ちがある中でTVアニメ化という話を聞いても期待を持ちづらかったであろうことは想像出来ます。

なんだか暗い思い出が蘇ってきましたが、今回はザクロスを褒めるつもりで書き出したので、そろそろ本題に入ります。

 

 

 

ufotableのファンサ〜

 今回のアニメーション制作を担当したufotable。2011年発売のテイルズオブエクシリアからシリーズのアニメーションパートを作っている会社。これまで『空の境界』や『Fate/zero』などのTYPE-MOON作品を中心にいくつかの作品を個人的に観てきてはいる。で、ザクロスを観終わるに至って感じたことがいくつかある。

基本的に原作付きの作品をアニメ化することが多く、作画がカット単位で整っており綺麗であること。このあたりは見てもらえればすぐに分かると思う。

後は、原作が先ずあってのアニメ作品が多いということで原作ファンへのアピールも重要になってくるだろう。ザクロスで言えばスレイとミクリオ、ロゼとアリーシャという組み合わせ。原作ゲームでも描かれてはいたが、アニメ化にあたって特にロゼとアリーシャの仲はより対等かつ深くなったという印象を受ける。

また設定の調整にも関係してくるが、最終決戦前の集合地をカムランからメイルシオにしたり、グリモワールを登場させたり、悩めるスレイにベルベットがアドバイスしたりとベルセリアをプレイしたファンへの分かりやすいサービスが目立っていた。

 

 

 〜ゲームの枷とアニメの自由〜

ゲーム版をクリアした当時もツイートしていましたが、キャラクターや設定などの素材自体にはさほど問題は見受けられないと思います。となると後はどう調理して、どのような料理にするかです。

RPGというのは物語を創作するだけでなくシステムと絡めて制作するものですが、ゼスティリアに関して言えばそれが奏功せずに枷となり相乗していったように感じます。システム的にしようがなかったとしても、ゲーム版の裏切りや従士としての能力など、特に批判されているアリーシャの不遇さにほとんど直結しているので擁護はちょっと難しいです。

ザクロスの場合は後出しジャンケン的に制作出来たのと、システムに縛られずキャラクターを動かせたので良い作品になったのではないかと思います。基本的な設定や立ち位置を受け継ぎつつ、シリーズファンの「こうなって欲しかった」を拾っていった結果ではないかと。アリーシャ周りの改善やゲームでは難しそうな四属性神依などが代表的なところでしょうか。

終盤のスレイの行動は同じなので、過程をざっくり言葉にすると「ゲーム版はバッドルート」って感じかな。アニメも特別ハッピーというわけではないけど。

 設定で大きいと思ったのがドラゴンの浄化問題。ザクロスもゲームもエドナの兄であるアイゼンをひとつのキッカケとして悩むのは同様だが、結論が真逆になる。

ドラゴンは天族が憑魔化した姿でその大きすぎる穢れ故に単にそれまで浄化した前例が無かっただけとしてスレイを筆頭にパーティ全員で挑み見事浄化に成功した。

一方ゲーム版では浄化方法が無いまま、諦めて討伐する結論に至り、各地で様々なドラゴンを倒して周っている。

ゲーム版はエネミーを設定しないといけないという枷があるにせよ、ベルセリアでアイゼンと散々共に冒険をしたプレイヤーにとっては尚更「何とかならないのか!?」と感じてしまいました。

 

〜導師と災禍の顕主〜

スレイとヘルダルフを対比するキーワードとして「孤独」がある。

スレイは導師としての孤独。憑魔からの穢れは基本的には導師が引き受けることになる。それは天族であっても出来ないことだし、契約した従士に分けることは出来てもサポート程度。だから導師は常に孤独な戦いを強いられる。けど、仲間はいる。穢れを受ける役割を成り代わることは出来なくても、いっしょに戦い、サポートしてくれる天族や従士がいるので精神的には支えがあるし、スレイが頑張れた一因かも知れない。

ヘルダルフは穢れという意味では自ら仲間を生み出せもするし、眷属的な部下のような存在は非常に多い。サイモンもいるし。しかし前代導師を裏切った際にかけられた呪いが彼に孤独を与え続ける。それは誰とも関わることを許さず、敵である導師と戦闘の最中に言葉を交わすことさえも禁じてしまう永遠の呪い。そしてそれこそが彼を災禍の顕主たらしめた原因である。

導師と災禍の顕主はお互いに孤独を抱えている対極の存在であり、劇中で描かれる最も恐ろしい穢れとはヘルダルフが抱える真の孤独だということ。

 

 

〜情熱が世界を照らす〜

ザクロスはゲームの結末を準拠しつつ、ゲームではボカし気味だった部分をハッキリと描いている。この描写の多さについては好みが強く分かれるかも知れないが、最後まで見た私は晴れやかな気持ちになれたので肯定をしておく。

ヘルダルフを浄化し終わり成長したミクリオの元に戻ってくるスレイ。再開を喜び、改めて遺跡探検に心を躍らせる2人。そして神依化し、空を飛び、穢れが適正値に落ち着いた世界を目の前に「これが、世界!!」というスレイの言葉で幕を閉じる。

ゼスティリアのジャンル名は「情熱が世界を照らすRPG」。人々の穢れに満ちていた世界を情熱(zest)を持ったスレイが陰りや淀みを晴らしていく物語。そうやって光を当てていった先に待ち構えているのはスレイが情熱を燃やす世界の理、全て(そういう意味ではスレイとロゼの共力秘奥義がアルティメット・エレメンツだったのは納得かも)。

物語上、暗いシーンが長く多いだけに最後に至って美しい世界が見渡せるというのは非常に気持の良いラストカットでした。

穢れに関しても「適正量」というところが重要で。

穢れとは誰しもが持つものであり、完全には消しされない。それを理解した上で受け止めることが大事。自らの穢れを認め、戒めながら生きていくからこそ人は強くなれる。

ということが作中で何度か語られている。

 

〜最後に〜

 

テイルズオブゼスティリアというコンテンツに触れた時にザクロスがあって良かったと思える作品でした。

暗い話が多いのはゼスティリアに限った話ではないのですが、腑に落ちる解決が少なかったと感じる人が多いのがゲーム版なんじゃないかなと。まあ、ここまできてゲーム版をこれ以上批判するのも今更感あるのであまり深くは言いませんが…。

とにかく。次作として発表されている「アライズ」も、おそらくはCOVID-19の影響で、開発が順調ではないようですが(以前は2020年内に発売予定だった)。

出来れば焦ることなく、腰を据えて完成された良い作品を作っていただきたくお願いする次第でございます。