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アニメや映画などを観て感じたこと、想ったこと。ネタバレする場合有。

テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス 第1話(#00)「災厄の時代」感想

 

テイルズオブシリーズ20周年記念作品として2015年に発売されたテイルズオブゼスティリア

発売されてからの世間様の評価はまあ各々分かっていたり、調べたりしていただくとして。

自分の意見を思い出す為にTwilogなどを再確認していたら「全体的に"惜しい"が積み重なった結果」という事が書いてあった。「塵も積もれば山となる」が良くない方に働いて穢れを生んでしまったか、と。

「掘り下げが足りない」とも書いてあり、これは私がテイルズオブに期待する各キャラクターの過去を原因とし、現在を結果とする人物造形に対する不完全燃焼を言った事だと思う。それも含めて「20周年記念作品」等でプレイヤーが期待していた部分が総じて裏切られてしまったのではないかとも思う。アリーシャとか。

 

で、当アニメ作品だが、テイルズオブシリーズのアニメーション制作が

Production I.Gからufotableに変わって初のTVアニメとなる。

ゲーム本編の映像がそのままTVアニメになるのだし、制作会社の近年の作品視聴経験から「作画への違和感という意味ではあまり心配は無いな」というのが視聴前に私が思っていたこと。

 

【アバン】

アリーシャの背中から始まり、彼女は馬に乗る。

見回っている町に「去年の竜巻の被害」と言っている。ゲーム本編の時点で10数年前から災厄の時代は始まっていたとされているので、同じ世界線であればこの時既に災厄の時代に入っていると言える。

災厄の時代に起こる竜巻がどういったものなのかを後述する為の前フリともなっている。

 

その後、その日の宿を判断するシーン。アリーシャは「迷惑がかかるから」と野宿を選ぶ。野宿の先で導師の壁画が残される遺跡に寝泊まりしている。

アリーシャが壁画の汚れを払っている時に後ろの2人がアイコンタクトをするが、おそらくアリーシャはこういう事をよくするのだろう。リフィル達の様な遺跡マニアか。

アリーシャが持っている天遺見聞録とは、先代導師ミケルが書いたとされる世界の不思議を記した書物。荒唐無稽な話も多いが、学術的資料価値もあるとの事(公式コンプリートガイド参照)。

ここで導師という言葉を出し、災厄の時代の描写から繋げる事で今後始まる物語の道標として提示しているのだろう。

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【Aパート】

湖上の街レディレイクの俯瞰映像。当たり前だが、しっかりと人間が暮らせる規模にリサイズされている。時期は聖剣祭の準備段階。

ストーリーが進んでいけば分かることだがゼスティリアのネーミングはアーサー王伝説が下地となっているものが多い。

 

クレムが呼び出された先でアリーシャと彼女の師であるマルトランが待っている。

一応補足しておくが、アリーシャは姫様なので「何故偉そうに、先生ではなくアリーシャが椅子に座っているのか」というツッコミは無しで。確かに、マルトランが敬語を使っていない事から違和感を覚える人はいるかもだが。

 

天文学者のドレイク教授がグリエルという村の上空に奇妙な霧を発見したと。

まあ、穢れですよね。フと「穢れ」って言葉が浸透していないのが少し不思議に思った。天遺見聞録に書かれてはいるかもだが、具体的にそれがどういうモノなのかは広まっていないという事かも。この辺の言葉という文化の浸透具合は、憑魔の特性とも関連しているって事かとも。

で、ツテがあるクレムが適任だと判断されたと。

 

変わって議会の場面。

この辺からもう既に様々な苦難に晒されているアリーシャ。

政は「まつりごと」とも読むから、聖剣祭を政治利用しようというお歴々の考えを却下するアリーシャ。

 

霧が濃くなった事を受けてドレイク教授にグリエル行きを頼み、2週間戻らないクレムを心配するアリーシャに、魔の手が伸びる。

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この辺の戦闘シーンは流石と言うか。原画並のクオリティを保ちながら十分に動かせてると思います。動画ならではの崩しがあれば、それはそれで良いとは思いますが、ufotableの作画は割とこんな感じで安定していますね。

 

ここで仮面を割られた敵の容姿が変化しますが、ここって本編をやってたりで設定を理解していないと疑問符がつくんじゃないかと思ったんですが、どうなんでしょう。

割られた人物はルナール(CV:子安武人)と言い、本編では登場時からこの変化後の姿でした。この変化は憑魔化と言って穢が溜まり過ぎると起こるんですが、結局変化の瞬間を見てもハッキリとした決め手は私には察することが出来ませんでした。積もり積もったものが頭領の一言で決壊したとかでしょうか。後でフォローがあると有り難いと思います。

 

更にここでチラッとロゼが登場。放った言葉に対しても後への伏線だと信じたい今日この頃。

城に戻ったアリーシャはマルトランに聖剣祭の準備を頼んでグリエルへ赴く事に。

 

ここでアバンに戻ってきました。野営をしている一行。クレムを心配している事と、彼女が天遺見聞録を気に入った訳の説明、黒い霧の変化の兆しを見せています。

 

【Bパート】

グリエルに着いた一行。郊外の畑という事でしょうか。あまり豊作とは言えない様子で、町人も多少気が立っているといった感じでしょうか。

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この世界で言うマスクと言ったところか。ただ服装的に明らかに兵にしか出来なそうな仕様だとツッコミをいれたくなったのは内緒。

それよりも、あの少女がどういった心持ちでアリーシャに果物を渡す気になったのか。このシーンは後でアリーシャにトドメを刺すための伏線だというのは理解出来るが、私に少女の心情を読み取る技量は残念ながら無かった。

 

ここでまた気付くのがマルトランに対する兵たちの敬称の付け方。「先生」と「様」に分かれている。軍の教導騎士といえど、その1人に過ぎないというという事なのかも知れない。直接師事した者達は「先生」呼びということなのかも。という事はアリーシャとクレムは姉妹弟子(と言うのか?)か。

 

警備隊の屯所で北の樹海に行き、タオ(金髪ショート)だけは町に残り調査を続ける運びとなる。屯所の兵は隊長が悪そうで、町にも活気が無い。穢れの溜まった影響が描かれている。

 

先に来ていたドレイク教授が地脈の調査で谷底へ降りている間に、霧が変化しクレムに襲いかかったので、一行は彼女を連れて退避。結果、ドレイク教授は谷底へ置き去りになるが、当人は気付いてない模様。

あれだけの事態が地上で起こっているのに下は随分と静かというか、嵐の前の静けさといった感じ。

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ここでダイヤ方の試験管(?)に入れた光が黒い霧に変化している。地脈となって循環している自然の力が穢れに変化しているんだろう。つまり世界が穢れ始めているという事。クレムの説明も入る。

何かの目玉と出くわす教授。穢れにも似た赤黒いものに飲まれていく。死亡ということでいいのかな。

 

馬に乗り逃げていた一行だが、穢れの竜巻に飲み込まれていく。クレムは自分は馬から降りるというが、アリーシャは当然それを許すわけもなく。

で、みんな大好きサイモンちゃん登場。更にルナールも加わってもはや異常気象を超えて大災害と化している。

ここでクレムと馬があっさり地割れに飲まれ、アリーシャに付いてきた者は全員いなくなってしまう。

サイモンちゃん、この頃何してたんだっけ?とあまり記憶にない私。

察するに、災禍の顕主の為に行動しているっぽくて、降臨できる地を増やしていたといった処か、準備をしていたか。

「冷めた」からといって消えるあたり、あまり焦っていない様にも見えるが。

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この第1話、画という意味で最も私の感性に触れてきたのがこのシーンだ、という理由だけでアップする。

 

グリエルに戻ると、そこには冒頭に出て来た町と同じような惨状が広がっており、残してきたタオの死亡カットも挟まれる。

訳の分からないまま仲間を失い、ようやく辿り着いた町も壊滅。そんなアリーシャに果物をくれた女の子が、アリーシャを見つけ駆け寄ろうとするも目の前で竜巻に飲まれていく。その中にはドラゴンの姿が。

さすがにドラゴンは後々に説明が入ると思うので省略。入らなくても責任は負いませんが。

アバンで出て来た町も同様の事が起こったのでしょう。

で、1話が終了。

 

【エンドクレジット、OP】

初回で冒頭にOPを入れずに最後に流したのと、サブタイトルを本編終了後に入れたのは個人的に好印象でした。(#00)というプロローグとしてのこの話の役割をしっかり認識させられると思います。

そして、テイルズオブお得意のアニメーションOP。私はゲーム版のOPが好きなのですが、見てみたらこちらはこちらで曲調からテンションも上げやすく良いと思う。

Twitterでも言ったけど、スレイの相方が基本的にライラじゃなくミクリオで演出されているのは面白かった。

それと、ベルセリアの主人公のベルベットが出て来た事で、彼女の登場を期待し始めたのだが。それと同じくして、最初の集合シーンで居たり、ロゼとの共闘シーンがあったりでアリーシャの処遇をそういう方向に改変してくれても良いとも思う。

「クロス=次回作と交わる」という意味の他に、「クロス=X=エクシリア=分史世界」って感じで。分史はX2だけれども。

ゲーム原作だからと正直にその通り作らなければいけないって事はないのだし。

 

【総括】

いやあ…、非道いですね。というか、厳しい。

ゲーム本編の時からそうだったけど、公式はアリーシャに何か恨みでもあるのかというか、公式が憑魔なんじゃないかと疑う様な仕打ちの初回でした。

アリーシャを通して世界の現状を伝える為の話だろうし。他のキャラを通すのは難しいので彼女が適任だってのも分かるんですが。役損ですな。

このエントリー書いてて再認識したのが、

ufotableなら作画はある程度の信頼がおけるので、後は内容をどう持っていくか。

 

放送期間中にはベルセリアも発売されるし、アニメとゲームで良作同時展開をして欲しいところ。

勝手ながら、実際私もまだこのシリーズにかける期待というものは少なからずあるので、ベルセリアも予約している。

ただ、今回は限定版とかではなく通常版を選んでいる処に私の今の心境が出ているなと自覚しているところでもある。

 

とにかく、色々つらつらと書いてきたが、

次の第2話からは恐らく主人公であるスレイが登場し、物語も本格始動する筈なので、既に出来上がった物語をアニメとしてどう描いていくか、どう惹きつけていくのかを楽しみにしながら見ていきたい。

アイカツ!とビルドファイターズにおける”ペア”について

アイカツ!ガンダムビルドファイターズの2つにおいて

通じるものを感じた。

それが端的に言うと「個性が違うペア同士で未来を見据えて高め合っていく」こと。

 

アイカツ!(1期、2期)

1、2期の主人公である星宮いちごはトップアイドルの神崎美月に憧れてアイドルの門を叩く。話が進むにつれて憧れだった美月は(美月自身の焚き付けもあり)いちごにとって先輩、ライバル、目標となっていく。

そして1対1での対決となった1期最終盤でいちごは美月に敗れてしまう。

 

1期の頃から「1人ではなく複数で」という事を合間で描いてきて、

2期は特にペア(2人組)をパートナーズカップやトゥインクルスターカップ(以下:TSC)で強く打ち出していた。

 

個人的に「ペアにする相手は同じ学園に限らなくてもいい」という処が特に良いと思っていて、それがスターライトとドリームアカデミーを絡ませる事により可能性を大きく広げていけた原因だろうと思う。

 

TSCにおいてもペア同士の対決となっていて、

これはいちご世代のトップである美月がマスカレードを超えるためであり、

ペアを超えるにはソロではなくペアの可能性に賭けているんだと思った。

 

アイカツ!100話(TSC決着)については。

セイラが勝つことによって2期から登場したドリームアカデミーのやってきた新たなアイドルたちと彼女たちを導いてきたティアラ学園長をちゃんと肯定してるんだなと。

更にいちごの方は、ソロではなくペアで超えることによってペアの可能性を示し、美月がバトンを渡せる様にとの事かなと。

加えて2wingSの勝因のひとつは「その先を見ている」事。

お互いを高め合い、その先を見ること(通過点とすること)で自分の更なる飛躍へと繋げていく。それを2wingSの勝利という肯定で示した。

 

2期においての着地点のひとつとして、

多様性を肯定しつつあくまでも「その先」を見ながら進んでいく事を示していたと思った。

 

・ビルドファイターズ

1期の主人公イオリ・セイはガンプラ作り(ビルダー)の腕は目を見張るものがあるが、ファイター(操縦士)としての腕はイマイチで選手権も敗けてばかりいた。

そんなセイのもとにレイジというファイターとして優秀な相棒が現れることにより物語は展開していく。

 

両作品とも敗北から書き出しが始まる様に文を書いた。

アイカツ!の50話分を無視する気など全く無いが掲げたテーマとして、こういう見方をした方が良いかと思ったのでご容赦いただきたい。

 

結果から言うとセイとレイジは世界大会で優勝するが、

優勝という地位はセイの父であるタケシ準優勝を2人で超えたと訴える為のものであると推察する。

 

私は過程とその先がより大事だと思っていて。

レイジの役目はセイのパートナーであり、同時にライバルになることでお互いに高め合っていく最も身近な存在となっていく。

 

作中多くのライバルが出てくるが、マオくんは別にしても、他のライバルたちはレイジがいなければ同じ舞台で高め合うことが出来たか分からない人々であり。その戦いでセイの成長が促された事は最終話のセイの台詞から汲み取れる。

そしてセイが未来に向かって1人でもガンプラバトルをしていける様になった証としての最後の台詞「お前との戦いたい」に繋がる。 

 

 レイジというパートナーを得たセイがお互いに高め合い、未来への道標を作っていく物語だと受け取った。

 

・最後に

最近、アイカツ!が新たなメンバーでユニットを汲み出しており「上げるならここしかない」と思ったのが、この文章をアップしたキッカケで。

私がモタモタしている間にBFTも終わってしまったというのは割愛して←

 

織姫学園長の口からも「ユニットの魔法」という言葉も飛び出しており、

複数人におけるケミストリーが高みや、新たな世界を開く上で重点が置いている手法だなと確信を得ると同時にこれからどんな新しい魔法が描かれるのか楽しみです。

 

 

プリキュア歴代ボスたちの動機

※ネタバレを含みますのでご注意を。

 

10周年を迎えて、記念作品として作られたハピネスチャージプリキュア

それも明日で最終回を迎える。

 

決着(結論)はまだ出ていないが、物語の起点のとつでもある

ラスボスたちがプリキュアに敵対する動機を個人的に纏めてみた。

 

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初代:

自らが持つ「全てを喰い尽くす力」による自己消滅を回避するために、

自身と対極の力「全てを生み出す力」を求めている。

「死ぬのは嫌だ」

 

MH

同上

 

SS

宇宙を創世以前の暗黒の世界、静かで安定した世界に戻そうとしている。

「無こそ安定」

 

5:

老化により自分の美しさや強さが失われていくことへの恐怖から、

ドリームコレットによる不老不死を望む。

「老けるのは嫌」

 

GoGo

自分が価値を認めたものだけの世界をつくろうとしたが、キュアローズガーデンと主であるフローラに拒まれたため、全てを我が物にしようとしている。

「あいつ、この私を拒んだ」

 

フレッシュ:

争いや悲しみ、不幸を無くして、

あらゆる世界を完全に管理された自分の世界へと変えるためにラビリンスの科学者が作った。

「管理するようにプログラムされた」

 

ハートキャッチ:

地球の砂漠化と征服。

人類の心の花を枯らし滅ぼす。

※調べてたらソース不明の情報も(住んでいた星が滅んだ為)

「ぼくたちの生きれる星に」

 

スイート:

人々の負の感情から生まれた存在。醜い自分を生み出した人類とその自分自身さえも

嫌悪し、全ての音を消滅させようとしている。

「何もかもが憎い」

 

スマイル:

全てを怠惰にし、世界をバッドエンドに導こうとしている。

「希望を抱くより、怠けよう」

 

ドキドキ:

1万年前に宇宙を支配していた存在。

自己中の権化であり、全ての命を自分思うがままにする支配者となるため。

「全部おれのすきなようにする」

 

ハピネスチャージ:

自分の愛していた星が滅んだのに、ブルーの愛する地球が滅んでいないから、

地球を滅ぼしブルーに同じ思いを味合わせるため。

「隣のブルーの星は青かった」

 

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今回これを再確認しようと思った私の動機が、

ハピネスチャージ48話で語られたレッドの動機に対して「小さい」や「知らんがな」的なものが主にTwitterで散見されたからで…。

 

おそらく動機の発着点と広がり方の問題だと思うが。

「自分→一他者(ブルー)」に向けられる憎しみを肥大化させて世界を巻き込んでいったのがレッドで。要は、八つ当たり状態になっているから「小さい」などと言われるんではなかろうか、と。

 

ただ、個人的にレッドの思考回路は

「地球が青い(世界)→ブルーずるい(個人)→地球滅ぼそう(世界)」

だと思っていて。

ブルーはレッドと対比させて憎しみを固めるための役回りだと思うので、標的の拡大から来る矮小さは感じなかった。

 

似たような立場にいたのは5GoGoの館長で、フローラ(個人)とローズガーデン(世界)への憎しみで動いている。

ただこちらは館長やアナコンディの言動からフローラ個人の方への強い執着が見受けられるから、

「小ささ」で言うのであればこっちが上かなと…。

 

更に比較するなら、他のボスたちは基本的に世の理や世界を相手にしているので、この2人はこの中でも異質な様に思う。

動機ではなく、存在としての異質さはメビウスが強い気もする。

 

プリキュアのラスボス達って、幹部に比べて性格由来の描写が少なめで疎らな感じで、

素材を拾ってくるの大変だなあと思った。

その辺も、役割が世界観寄りのラスボス達と人物寄りの幹部達ってことで、プリキュアシリーズは通してきている印象。例外というか、バランス取れた存在はゴーヤーンかな。

 

こんな感じで歴代ボスを改めて振り返ったら、次は歴代のプリキュア最終形態と結論だろと思わなくもないけど、やっぱ気分次第だなあ。

 

まあ、私はTwitterでそれなりに勝手な文句やらを言ってきたけど、

ハピプリ最終回もいつも通り、過度な期待はせずに、落ち着いた心で臨もうと思う。